脳腸相関(脳と腸内細菌の関係)

80年代に脳内の主要な伝達物質であるセロトニンの80%が腸管で造られることが発見されて以降、脳と腸管の関係に研究者達の興味が移り、徐々に脳と腸の関係が分かり始めてきた。

当初想像されていたより緊密な関係があることが徐々に明らかにされてきた2000年代になって脳腸相関という言葉が、専門誌を中心に見られはじめ今では健康雑誌でも見かけるようになっている。

では脳腸相関とはどういうものなのであろうか?ここでは精神疾患との関係を中心に説明を行う。

 

人は胎内感染など特別な状況にさらされない限り、無菌で出生する。そして、出生直後から、母体や生育環境からもたらされる様々な細菌に暴露され、腸管を中心に皮膚・泌尿器などに細菌が常在することになり、いわゆる常在細菌叢を作ってゆくのである。

その最大のものが腸内細菌叢で1800属4万種程度の細菌が常在し、重量にして1キロを超えるものとなっている。

これらの細菌叢は、栄養成分の分解や必須アミノ酸などの合成、抗原を常に与えることでの免疫機能の維持など、人の生存にとって非常に重要な役割を果たしている。糖尿病の発症にも、腸内細菌叢が関わっていることも示唆されてきている。

さらに最近になって、腸内細菌叢はホルモンやサイトカインを介して、脳と双方向的なネットワークを築いていることが分かってきた。

腸内細菌叢のストレスホルモンとの関係

ストレスホルモンの代表的なものである副腎皮質ステロイドは、HPA系(視床下部―下垂体―副腎軸)を介し体内に暴露される。この反応の主な目的は、外界に変化に速やかに反応し生態を防御することである。しかし、分泌不全や過多が生じると身体並びに精神に大きな影響を与えることが分かっている。うつ病の発症にも関与が疑われているものである。(詳細は、神経細胞障害仮説http://www.mh-mental.jp/policy/detail/id=146 を参照。)

腸内細菌叢を無菌にしたマウス(GPマウス)は、通常のマウスよりストレス負荷を与えた際のHPA系の反応が、過剰であることが報告されている。また同じグループの報告で、GPマウスに腸内細菌を移植したのちは、反応は正常化することも示されている。さらに、Bifidobacterium infantisという特別な細菌のみの単一細菌叢マウスは、通常のマウスとHPA系の反応が同じであることも報告されている。この細菌以外の細菌では、このような結果は見られていない。

このように、HPA系の反応が、一部の腸内細菌によって影響を受けていることが示唆されている。

 

腸内細菌叢の行動特性および感覚への影響

無菌マウスの痛覚知覚は、正常のマウスより鈍いことが示唆されている。

正常のマウスに、プロバイオティックスの一つであるLactobacillusを投与すると、内蔵の痛覚閾値を下げることが報告されている。この反応は、腸管内へのオピオイド受容体(麻薬系鎮痛剤の作用部位)を増やすことによって起きる現象のようである。このような腸管の痛覚閾値を下げることは、過敏性腸症の改善につながる可能性を示唆している。

 

また、病原性細菌であるCanpylobacter jejuniを免疫反応が起きないぐらいごく少量投与したマウスは、不安反応が更新したことが示されている。この反応は、脳幹部に存在する延髄の孤束核、外側某傍小脳脚核を活性化することで行われている可能性も示唆されている。

この例は病原性細菌であるが、常在細菌においてもこのような機序が見られる可能性を示唆していることが興味深い。

腸内細菌から脳への情報伝達の仕組み

①求心性神経を介する経路

腸管には多数の求心性神経が存在する。(迷走神経、脊髄求心性神経など)

この経路のメカニズムで、最近注目されているのが、腸クロム親和性細胞(EC細胞)である。食物由来の繊維性多糖から嫌気性菌の作用で生成される短鎖脂肪酸(炭素数6までのモノカルボン酸)は、EC細胞からのセロトニン分泌を促すことが明らかになっている。更に、分泌されたセロトニンは迷走神経末端の5-HT3レセプターに結合して、延髄の孤束核に情報を伝達すると考えられている。

また、最近の研究により、菌自体がセロトニンを分泌する可能性も示唆されている。

余談であるが、この分野の第一人者であるLyer博士は、神経伝達物質はそもそも細菌から人に伝達されたという説を提唱している。このようなことは、ホタルイカやチョウチンアンコウの発光物質が細菌との共生とその後の遺伝子レベルでの融合でもたらされたことと同じである。人の器官でも少なくともミトコンドリアなどは起源が人体内でなく、外部から取り込まれているという例もあるため、腸内細菌と人との関りの深さを考える上において興味深い。

 

②免疫系を介する経路

腸内細菌由来の菌体成分が、マクロファージや樹状細胞を通じてインターロイキンなど炎症性サイトカインを誘導することはよく知られている。炎症性サイトカインは、それぞれに特異的なレセプターを通じて脳機能に情報を伝達している。

まだ詳細は分かっていないが、この経路も有望な情報伝達ネットワークの候補である。

 

③腸内細菌由来の生理活性物質

腸内細菌が、短鎖脂肪酸、GABA、ポリアミンなど、生理活性物質を産生することはよく知られている。

この中で、短鎖脂肪酸の一つであるButyric acid(BA)の抗うつ効果が最近注目されている。

ヒストンの脱アセチル化を阻害することで、脳由来性神経栄養因子(BDNF)を増やすことが知られており、このメカニズムを通じての抗うつ効果が考えられている。事実、マウスの実験では、BAの投与による、前頭葉でのBDNF濃度の上昇が報告されている。

また、無菌マウスの脳内のBDNF濃度は通常のマウスより低いことも解っている。さらに海馬・前頭葉では、セロトニン・ノルアドレナリンの濃度も低いことが報告されている。

これらの知見は、新しい抗うつ剤の開発の可能性があり、注目されている。