うつ病の原因研究最前線

うつ病の原因究明の試み


セロトニンとノルアドレナリンを中心とする、脳内の神経伝達物質のバランスの異常がうつ病の原因とする、いわゆるモノアミンセオリーはその限界を大きく抱えつつ未だにうつ病を説明する手段としては最もよく使われている。

しかしこの考え方は、うつ状態を副作用として持つ薬の研究やうつ病に効果のある薬物の作用機序を調べる過程で持ち出された仮説であり、大脳生理学的な検討は十分になされていない。

つまり、高血圧の薬であるレセルピンは、副作用としてうつ病を発生させることがあるのだが、この薬はセロトニンを減らすことが分かった。また、結核の薬であるイプロニアジドは、抗うつ効果があることが分かっていましたが、この薬にはセロトニンとノルアドレナリンの分解を抑制する機序があることが分かってきた。このような中で、最初の抗うつ薬であるイミプラミンが開発され、その機序がセロトニンとノルアドレナリンを神経シナプスとシナプスの間で増やす効果があることが分かり、モノアミンセオリーがうつ病の原因究明のもっとも中心的な考え方となったのである。

以降、この仮説をもとに多くの抗うつ薬が上市されることになった。

しかし、すべての抗うつ薬は数時間でセロトニン(薬物によってはノルアドレナリンも)量が十分に増加するにも拘らず、抗うつ効果は簡単には現れてこない。(早くても1週間以上かかると言われている。)

また、日本では使われていないが、セロトニンを減らす薬も実は抗うつ効果を持つことが分かっており、海外では実際抗うつ薬として使用されている。

さらに、セロトニンが偏桃体の抑制を介し、不安を抑制する機序は理解されつつあるが、セロトニンがどのような機序で抑うつ・喜びの減退を改善させるかという問題はほとんど手つかずと言って良い状況である。

このような中、モノアミンセオリーに代わるもしくは補完する仮説が1990年代より2つ提唱されてきた。

1、神経細胞障害仮説

MRIなど脳の画像解析技術が進歩し、脳各部位の詳細な堆積測定が可能になってきている。1990年代半ばには多くのうつ病における海馬の体積減少がはっきりしてきた。また、この海馬面積の減少は、うつ病のエピソード回数に比例するとの報告もなされている。(Shelineら 1996ごろ)

また一方で、ストレスへの防御反応としてストレスホルモン(コルチゾール)の存在と、コルチゾールの海馬の神経細胞への毒性が解ってきた。

さらに、ストレスの防御反応として作用する、視床下部・下垂体・副腎(HPA系)の異常がうつ病患者に多く見られることも解ってきた。

つまり、ストレスに暴露されると、視床下部よりCRH(副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン)が分泌し、下垂体からのACTH(副腎皮質刺激ホルモン)の放出を刺激し、副腎皮質からコルチゾールが分泌される。コルトゾールは全身の臓器に、ストレスへの適応を促す作用があるが、過剰に分泌されると臓器障害を起こしてしまう。この為、ネガディブフィードバックという機構が備えられてあり、必要以上にコルチゾールが存在すると体が感知した際には、HPA系に抑制をかけCRHの分泌を抑制し、コルチゾール量を調整するシステムである。うつ病患者はこのネガディブフィードバック機構に異常が見られるのである。

この為、ストレス刺激があった際、必要以上に長期にわたりコルチゾールが分泌され続け、海馬神経中心に傷害することで、うつ病の発生に関与しているという説が生み出されてきた。

特に幼少期の過剰なストレスが、グルココルトコイド(コルチゾール)受容体を発現させる遺伝子の一部にメチル基が付くこと(遺伝子のメチル化)が起こり、グルココルトコイド(コルチゾール)受容体の発生を抑制することで、コルチゾールのネガディブフィードバック機構を傷害するというメカニズムが分かりはじめ、うつ病の一部には、このメカニズムが重要な役割を果たしているのではないかと考えられている。このような、遺伝子の変化に関しては、別項で詳しく解説する。

 

2、神経可塑性仮説

BDNF(脳由来性神経栄養因子)という物質が1990年代ごろより注目を集めたのである。

この物質は、抗うつ剤の投与にて、脳内でどのような物質の増減があるのかを調べた丹生谷らの研究で発見された。幾つかの抗うつ薬(現在ではすべての抗うつ薬がBDNFを増やすことが分かっている)と電気けいれん療法によって、BDNFが増えてくることが分かったのである。

また、ストレスにより海馬錐体細胞の樹脂突起が委縮することも発見された。

その後、BDNFは神経細胞の状態維持や、障害された神経細胞の再生に主として関わっており、神経細胞新生やシナプスへの分化の補助因子としても働くことが徐々に解明されてきた。現在では、抗うつ薬が神経細胞新生促すことやその作用の少なくとも一部は、BDNFを介して行われることが分かっている。

さらに、ストレスホルモンの受容体は、BDNFの受容体と直接相互作用をすることが示された。つまり、ストレスに起因するコルチゾールの増加は、BDNFの発現を抑制し、ニューロンへの栄養作用が低下するため、海馬を中心とした神経細胞が障害され、うつ病が発生するのではないかというBDNF機能障害仮説が生まれたのである。

その後、BDNFは神経の新生は起こしえずあくまでも補助因子であることや、神経の栄養因子としてGDNF(グリア由来神経栄養因子)の重要性も見いだされ、神経成長因子としてFGF、EGF、VEGFなど神経成長因子ファミリーの役割も見いだされてきた。

このようにして、ストレスで障害された神経細胞の修復過程の障害がうつ病の原因であろうとする、神経可塑性仮説が生み出されたのである。